東京高等裁判所 昭和42年(う)1256号 判決
被告人 清水晴弘
〔抄 録〕
論旨はともに、原判決は被告人が品川横浜間東海道線下り伊豆急下田、修善寺行急行第一八一一M電車内で黒川義範が窓辺にかけていた背広上衣右内ポケツト内から同人所有の現金五、〇〇〇円を抜き取り窃盗したと認定したが、これは事実の誤認で被告人は当時他人の金をとつたことはなく、問題の五、〇〇〇円札一枚は自分のものであり、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるということを主張するものである。
そこで記録を調べてみると、原判示事実は原判決の掲げる証拠によつて十分に証明されていると認むべく、記録を精査しても原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものとは認められず、被告人に本件窃盗の所為の罪責があることは否定することができないと認むべきである。而して被害者黒川義範のいうところによれば、当時東京駅で乗車後、(進行方向)左側の窓ぎわに上衣を掛けたときは後のボツクスに客はいなかつたのに、泥棒という声で見るに二人の男が取組合をしており、金をとられてないかと聞かれて、あわてて調べたら上衣の右内ポケツトのかけてあつたボタンが外れていて折らずに一枚だけ入れてあつた五、〇〇〇円札が財布の中からなくなつていて、財布は二つ折の折り目を下にして入れておいたのにそれが横になつていた感じであつたというのであり、逮捕者である興梠光政(鉄道公安官)のいうところによれば、最初同列車の八号車に居ると被告人が入つて来て窓ぎわにかかつている上衣のそばへバツグからトレンチコートを出してかけ、そのとき上衣が動いたが、被告人はすぐトレンチコートを外してバツグに入れ前の車へ行つたので、上衣の持主に聞いてみたら何も入れてないとのことだつた。それから前へ行つたところ被告人は七号車には居なくて六号車の左側の前から六番目のボツクスにいて、トレンチコートは五番目のボツクスの客の背広のとなりにかけてあつた。自分が左側八番目のボツクスで見ていると、被告人はトレンチコートの下から手を入れ指を上衣の内ポケツトに出し入れするのが見え、三回目に札らしいものを指にはさんでいたので、飛込んで被告人を押え、前の人に金をとられてないかと聞いて、五、〇〇〇円札一枚が財布から抜かれていることが判つたという趣旨の証言をしているのであつて、これらの供述内客の真否が疑わしいとするような事情の存在は認められない。
論旨の主要点は、
(一) 被告人は当日、知人から依頼されていた沖繩行旅券発行手続に横浜市役所へ行くため京成青砥駅から乗つて東京駅へ行き、その知人に電話したが出勤していないので真直ぐ横浜へ行こうと思い停車していた急行電車に乗つてから、東京駅迄の乗車券の乗越手続をするため車掌を探して前の車輛に移つて行つたものである。被告人が盗んだという五、〇〇〇円札一枚は前日に銀行から下した二〇、〇〇〇円の一部で、妻に歯の治療代として渡すため別にトレンチコートに入れておいたので、それがあるかどうかを確めるため手にとつたところを捕まつたのである。被告人は当時所持金があり掏摸を働く必要はなかつたし、被告人には同種の前科が二犯あるが、今回は犯罪をしていない。
(二) 鉄道公安官興梠が被告人に掏摸の現行の所為があると認めたのは同人の誤認であるし、同人は現行犯人逮捕手続書には、被害者の内ポケツトに指を出し入れするのを見たようには書いてないのに、公判の証言でこれを現認したように証言しており、逮捕手続書の記載と著しく相違しているが、同人の証言は虚偽である。また、被害者とされている黒川義範の証言も信用できない点がある。公安官は被告人は左手で犯行をした如く証言しているが、被告人は右利きであつて左利きではないから、極めて不自然な証言であり、しかも帽子掛は腰かけたままやつと手が届く位の位置であるから、一分間位の短時間のうちに腰かけたまま内ポケツトの財布の中の札一枚を抜きとり、しかもそれを左手で四ツ折にすることは不可能である。右証人は、被告人が犯行を認めたから被害者に五、〇〇〇円札を返したと証言したが、被告人は公安官に対しては犯行を認めなかつた。公安官は被害者に対し何か無くなつているかときいたら、相手の人が財布を取り出し五、〇〇〇円が一枚だけなくなつているといつたので、本件五、〇〇〇円は被害者のものだと判断したと証言しているが、それは出たらめで公安官が五、〇〇〇円を被害者に見せてこれ貴方のじやないですかといつたのが真相である。公安官は被害者とグルになつて被告人を陥れようとしているとしか思えない。
(三) 被害品と称する五、〇〇〇円札は現場で被害者に渡されているが、その古さの程度につき被害者と逮捕者の証言が異なつており、被害者が窃取された札と公安官が被告人の手から押えた五、〇〇〇円札とは異るものと思われるのに、唯一の証拠品である五、〇〇〇円札を押収手続もしないで現場で還付するなどということは誠に不思議で釈然たらざるものがある。
というものである。
しかしながら、被告人の捜査段階における主張は、当時前日に銀行から引出した金(被告人が前日銀行から五、〇〇〇円札三枚、一、〇〇〇円札五枚を引出したことは確認されている。)の中五、〇〇〇円札三枚を通帳の間に狭んでおいたのを確めてみたら二枚しかなく、残り一枚を探したが上着のポケツトにもなく、トレンチコートの内ポケツトに見付かつたので通帳の間に入れようと左手に持つていたら捕まつたというのであつて、前記のように妻に歯の治療代として渡すことになつていた五、〇〇〇円札一枚をトレンチコートのポケツトに入れておいたので確めるため出したというのは後に変更した主張である。それなのに、妻清水順子が弁護人の申請により原審証人として出廷した際に、当時歯医者にかかつていたかどうか、その治療費を貰うことになつていたかどうかについて被告人は全然質問をしていない。その他、横浜へ行くというのに当日附京成青砥から七〇円の切符のみで、(外に前日附同駅から早川行の切符を持つている。)しかも急行列車に乗り、空いているのに席を変え、席に座るとバツグからわざわざトレンチコートを出して窓ぎわの他人の上衣のあるそばに掛けている等の行動があるのである。もちろんこれらの行動につき被告人はそれぞれ一応の説明をしているけれども、前記逮捕者及び被害者の供述と対比してみると同人らの証言を信用し得べきに反し被告人の主張は信用できないといわざるを得ず、被告人が本件の前日銀行から二〇、〇〇〇円を払戻をしたということや、所用で横浜に赴く目的をもつていたということは共に本件犯罪を働かないことの保証となるものではない。また、現行犯人逮捕手続書の逮捕時の状況に関する記載と興梠公安官の証言と矛盾するとの所論は、同手続書が検察官から提出されていない本件では、証拠に基づかない主張であるというほかはない。被告人が左利きではないとの主張も(記録上、右利きであることが立証されているわけではないが)、仮に被告人が右利きであろうとも左手で犯行するということが不可能であるとはいえないし、現に興梠公安官は被告人が左手を使つたことを現認しており、被告人自身も司法警察員に対する供述調書中で五、〇〇〇円札を通帳の間に入れようと左手に持つているときに捕まつたとの趣旨の供述をしている位であるから、左手で本件犯行はできないという根拠は存在しないというべきである。また、公安官の供述するような体勢でも本件犯行はなし得ると認められるからこれを不可能であるという所論は理由がなく、被害者の原審における証言によると、被害者は公安官に金をとられていないかといわれたのであわてて上衣の内ポケツトをみたらボタンが外れていたので財布をみたら五、〇〇〇円札がなかつた(当時証人は二ツ折財布中に五、〇〇〇円札一枚しかもつていなかつた)、それで五、〇〇〇円札がないといつたかとられたといつたかわからないがそのようなことをいつたと述べており、公安官もその点については、被告人を押えてあばれはじめたとき、被告人の左手を押えながら「お金を盗られないか」ときいたら「五、〇〇〇円札一枚財布から抜かれている」との返事があつた、被害者は背広を調べ財布をみてそういつたと述べており、両者の供述は符合しており、この点の被告人の主張は却つて正確ではないというべきである。次に証拠を検討してみても、被害品とされている五、〇〇〇円札と公安官に押えられた五、〇〇〇円札が異るものであるとは認められないのみならず、札の古さの程度について、被害者と興梠公安官の供述にも所論のような同一性を疑わせるような喰違いはなく、被害者も自分のものと考えて受取つているのであつて、被害者と被告人の手中にあつた札が同一のものと認められる情況にあつたので、これを押収して法廷に顕出しないでも、他の証拠により犯罪の証明はできるという見解から公安官がこれを直ちに被害者に交付したことは不当な処置とは考えられず、これを唯一の証拠品を逸散せしめたものとして非難するのは当らないというべきである。また、公安官が法廷の証言で被害者に見せてもらつた財布の大きさと色について記憶がないと述べたことから逆に同人の証言が信用できないと攻撃するが如きも、いわれがないというべきである。いわんや、公安官と被害者がぐるになつて被告人を罪に陥れようとしか思えないなどというのは荒唐な弁解であるといわなければならない。被告人は種種と興梠公安官の供述を攻撃するが、公安官興梠は本件当時被告人の挙動に不審を抱き被告人に追従しており八号車から六号車に至るまで仔細に被告人の行動を観察していたのであつて、同人の被告人の行動についての供述は信用するに足り、被告人は本件犯行に先立ち八号車においても右証人の供述するような問題の行動をしたものと認むべきであり、その後、車内を移動し犯罪の対象を物色しながら六号車に至り本件犯行に及んだものと認めるに十分である。これを要するに、本件における証人らの証言は他の証拠と対比してみても十分信用に値するものと認むべきであるから、原判決がこれを採つてもつて罪証に供したことは不当ではなく、原判決には所論の如き事実誤認の違法は存在しないというべきである。論旨は理由がない。
(井波 吉田信 大平)